こんにちは。司法書士の廣澤です。
今日は個人的に気になったテーマ、「集合知」について。
集合知とはなにかですが、色々定義があり、簡単に言えば、多くの人の知性を集めると、より優れた答えが得られるらしいと、そんな話です。
一人の専門家の意見よりも、10人の専門家の意見を出し合ってだした結論の方が、後々正しかったというケースが、次の本にいくつか詳しく書いてあります。
松下電器の松下幸之助さんも同じようなことを言っていましたね。
人が人自身を個として認識するようになったのは、歴史的にも最近のことだそうですが、人間は本来、個々人が意見をだしあって、全体で正しい方向に向かうように設計された生き物、ということでしょうかね。不思議です。
とはいえ、バブル景気のように、全員間違っていたという話もあります。
ある集落に行ってみると、現代社会では考えられない非道が行われていたという話だってあります。
こんな言葉も残されていますよね。
大衆は常に間違う:アールナイチンゲール
いったいこれはどういう事でしょうか?
色々と原因を考えてみましたが、
・影響されやすい人が多く、専門家の意見が入っていない
・意見に多様性がない
・言論の自由がなく、意見を強制している
・少数派と多数派の社会、短期と長期の違い(人類全体で見ると、良い方向には向かっているが、短期や狭い範囲で見ると、間違っているという状況が生まれる)
このあたりは考えられそうですね。
最新研究の話で、「集団は最初だけ賢く、後に、他者の意見を知らされると、意見の多様性が狭まり、それによって集合知が低下する」という記載を見つけました。確かに、人は群れると愚かになるというのは、よく聞きますね。
ひらめいたのですが、集合知の使い方はそもそも、個々人の知恵を集めることが大切であり、協議することではないということでしょうね。
協議すれば、気を使って意見を言わないでしょうし、意見を聞かず同意だけ求めるかもしれませんし、地域コミュニティなら同質になることを好みますし、集団に対しては権威バイアスもかかります。
松下幸之助さんが衆知を集めた方法も、いろいろな人と話をするという方法で会議であったという記載はなかったような気がしますね。
いろいろ考えてみましたが、すぐに答えが出る話じゃないですね。
長くなったので、今日はこのへんで。