よこはまの司法書士日記

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倫理はとても大切

こんにちは。司法書士行政書士の廣澤です。 

 

今日もいい天気です。 

人の発言を聞いたり、行動を見た後で考え事をするのが好きなので、今日はそんな日ごろの言葉遊びでも。

 

 

 

「法律に反していなければなにやってもいい」

 

近頃(?)またはいつの時代も(?)こういうセリフを言う人を見かけます。

 

賛成、反対うんぬんでなく、果たしてそうでしょうか?

パワーのある言葉に見えますが、事実なのでしょうか?

 

 

 

「法律に反していなければなにやってもいい」?

 

例えば、プロの目から見て全く価値のないものを高額で販売する。科学的に証明されていない健康商品を、あたかも効果があるかのように宣伝し販売する。心に隙間がある人を洗脳し、壺を購入させる。

 

これらは全て法律に反していないため、やってもいい事なのでしょうか?

言い替えると、誰かに指摘され殴られなければ、何をやっても良いのでしょうか?

 

 

 

上記は、素人の無知に乗じているとも思えますし、倫理に反しているという感覚がありますし、人の弱みに付け込んでいる卑しいものを見ている気持ちになります。

「人を可能な限り不幸にしたいの?」などと考えてしまいますね。

 

 

今更ですが、法律には限界があります。

法が整備されるまでタイムラグがあり、また、問題行動があって初めてあらたな法律が作成されます。

 

また、「法は倫理の最低限」というのは法学を学んだ人ならだれもが知っていますが、

法律と倫理は同類のもので、倫理の最低限の部分が法律になっているだけです。

(例)通常、人の子どもが危ないところで遊んでいることを注意する義務はない。

しかし、さすがに親は注意する義務があるだろうという事で、監護者の責任は法に定められている。

 

倫理をどんどん法にあてはめてしまうと、ガッチガチのルールになってしまい、それは人の自由を国が制限しすぎているという状況になってしまいますから、あくまで最低限とされているわけですね。

 

 

 

 

このようなことから、「倫理に反してでもことを行うのは、法律に反しているのと同じことだよね。だから、法律に反してないなら何をやってもいいというのは、反社会的な意見だよね。」と、そんな風に思いました。 

 

法律の抜け穴だから罰することができないと考えている人がたまにいますが、国民の自由を制約しすぎないために、法律をわざと設けず、わざと罰していないというのがより事実に近いと思いますので、そこを利用しちゃダメだよね、と。

 

 

 

最後に、問題は倫理が目に見えないことですね。

また、倫理はある程度同じ法治国家に暮らしている人に共通している必要があります。

 

隋や唐の時代は国家統治のために、法律とともに儒教のような共通の思想を利用していたようですが、現代ではそういったものは薄れ、「普通教」や「同調圧力」などと揶揄する人もいるように、多数派に普通とされる考え方で統治されている(?)ような感じみたいです。

 

 

こうなると、

可能な限り教育に「倫理」を取り入れて、しっかりそれを学ばせでもしない限りは、「法律に反しなければなにをしてもいい」などという考え方をする人への抑えが効かないのだろうなぁなどと思った次第でした。

 

「思想(思い込み)」のない社会の限界というかんじですかね。

 

 

ちなみに、司法書士は毎年さんざん研修などで、この「倫理」を叩き込まれます。

なので、個人的には「法律に反しなければなにをしてもいい」などという反社会的な発言は、専門家(とくに士業)は絶対にしてはいけないとも思っています。

「私は全然勉強していません」と言っているのと同じですしね…。

 

と、長くなってしまいましたが、

法律はあくまでも最低限、倫理がとても大切、共通の思想(思い込み)のない人は今後もっと増えるだろうし危険な存在なので、倫理教育が大切。

 

 

そんなことを思ったというわけでした。

 

では、今日はこの辺で。